† 牧会短信 †

日曜日は、白百合福音教会の週報の隅っこに載せているショートコラム『牧会短信』を。
平日は、牧師の日常生活を。
牧会短信 416号―『埋もれた宝を発掘する日』―
多くの人は、聖書解釈は歴史の中で既に完了したと思っていますが、そんなことはありません。
例えば「大宣教命令」と呼ばれる「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)は、いつの時代も変わりなく伝道の励ましとして読まれてきたかと言うと、そうではなく、16世紀まで圧倒的に支配的だった解釈によれば、「これは使徒たちに向けて語られたもので、後の世代の人々に向けられたものではない」というものでした。
1792年にイギリスの靴職人であったウィリアム・ケアリによって、「主イエスのご命令は世界的で、またあらゆる時代に当てはまり、洗礼を授けよとのご命令も、世の終わりまでいつも共にいて下さるとの約束も、世界的で、いつの時代にも当てはまるもの」として理解され、伝道のマグナカルタと呼ばれるようになったのです。ケアリの炯眼によって聖書に埋もれた宝が発掘されたからこそ、19〜20世紀に世界各地に伝道支援団体、各派教会の伝道局の精力的な働きが生まれたのです。
ここ500年程の間に聖書解釈に於ける変遷は、他にも「利息を取って金を貸すことは許されるか」(カルヴァン以前は断固禁止されていると理解されていた)、千年王国論、聖餐論、またカリスマ的現象、女性教職制、同性愛、奴隷制等々の可否などが注目されています。
メイフラワー号で新世界アメリカに神の国を打ち立てようと船出する人々を前に、ジョンロビンソンは「主は聖書の中にこれからも輝き出る真理を多く蓄えておられることを私は深く確信している。」との説教をしました。またA.E.マクグラスは「プロテスタントである事は知的、霊的な巡礼に出ることであって、巡礼が完了することはない」と著書で述べています。
いかなる時代も聖書の深みを完全に精通する事が出来ないのであるならば、私たちも常に聖書を読み直し、この時代において語られる神の言葉を問い続け、聖霊を通して新しく与えられる洞察に謙虚に耳を傾けていきたいと思います。



参考:『プロテスタント思想文化史―16世紀から21世紀まで』A.E.マクグラス p483
『福音主義自由教会の道―“日本伝道一五〇年”講演集』近藤勝彦 p99

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春は名のみの
春は名のみの風の寒さや

普段は温暖な横浜にも、一昨日、僅かながら雪が積もりました。
昨冬は積雪がなかったので、久々にみる銀世界に心躍りました。

麗らかな春は、厳しい冬の後から来ます。
我が家も、今春に向けて一輪の桜が咲きました。

冬来たりなば春遠からじ。
厳しさの中にある方々に、希望の春を見出すことができますように。

2010年 立春

 
| shirayuri | 日記・雑記 | 13:32 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
牧会短信 415号―『世俗化すべきところと、そうすべきでないところ』―
北海道砂川市が市有地を神社に無償提供していた事の是非を問う裁判で、20日最高裁は政教分離原則を定めた憲法20条や89条に違反するとして違憲の判決を下しました。妥当な判決だと思います。
東京神学大学の近藤勝彦学長は、「日本は世俗化すべき領域において世俗化せず、世俗化してはならない領域において世俗主義が進んでいる」と述べています。(参考:論文『日本伝道150年と伝道の神学』)
すなわち「世俗化すべき領域」とは、「国家」や「地方自治体」とそれらの活動領域、つまり「法的な強制」や「公金」が使用される領域であり、「世俗化してはならない領域」とは信仰の自由と結社の自由によって結ばれ、特定の宗教的信念に支えられながら、一定の理念や目標をもって社会に開かれた活動をする自発的な共同体とその活動領域です。
砂川市では、前者の領域における原則が守られていなかったため、今回それを是正させる判決が下されたのは妥当でした。
その一方で後者の、宗教的理念による自発的共同体(たとえば教育、医療、介護、その他活動)はその主たる行事を非宗教化させてはなりません。理念に基づいて宗教的に行われるのが誠実であり、そうでなければ神の前での人格の確立に導けず、したがって真の教育にもならないでしょう。
世俗主義には人生と世界の諸問題、歴史の問題に対する解決能力はありませんし、人生の意味と結びついたコーリング(召命)としての労働の意義を見いださせることも出来ません。せいぜい給料目当ての労働にとどまらせてしまうでしょう。
明治期の日本宣教は、欧米列強の植民地主義とは全く無縁で、ただ信仰復興運動の隆盛により、信徒の自発的な献金と献身が引き起こされて実現したものです。この情熱による実りとしての諸団体、諸活動を世俗化させてしまえば、使命と活動は底の浅いもの、歪められたものとなり、所期の目的は果たせなくなるでしょう。
これを回復させる道は「祈り」に他なりません。祈りこそ世俗化を防ぐのです。
教会は日本において「周縁」に位置していますが、教会にこそ実は世界的普遍につながる窓があり、普遍性や世界性に日本の将来を結ぶのはここにかかっていることを覚えたいと思います。

| shirayuri | 日記・雑記 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
地域に支えられて
先に報告した文科大臣表彰を受けて、祝賀会を開きました。
学校、家庭、地域の優れた連携があってのことで、支えてくださった皆様に、ただただ感謝申し上げます。

「地域と共に歩む」というのはどういうことなのかを、PTA活動の経験を通して深く教えられました。
私は来春で相談役からも引退しますが、この経験を生かしつつ、教会もまた、地域と同心円を作りって、地域に欠かせない場所と認められるよう励みたいと思います。

 

| shirayuri | 日記・雑記 | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
牧会短信 414号―『宣教の最前線』―
先週は、旧同盟系教会の集いであるマケドニア会に参加しました。119年の歴史を持つ当教団は、戦時中、宗教団体法によって日本基督教団(第8部)に編入させられておりましたが、戦後の1948年、横浜菊名教会に於いて一部の宣教師と日本人牧師との間で激しい議論が交わされ、修復困難な感情的しこりが生じたため、ついに複数の教会が離脱して再スタートを切った経緯があります。
結果論としては、神の豊かな憐れみの内に諸教会が成長し、新生「同盟教団」は祝福されましたが、離脱組と残留組に分裂したことは、宣教における「同盟」を旗印として掲げてきただけに、諸教会にとって大きな痛みとなりました。分裂の翌年から、旧同盟系教会の祈りと親交の集いとしてマケドニア会が始まり、今年で61年目となりました。
119年間に渡って同盟系教会に流れているDNAとも言うべきものは、犠牲を厭わぬ伝道精神です。
宿泊した熱海の旅館から相模灘が一望できましたが、未伝地伝道に燃えた先達たちが目的地の一つとしたのは、その海を越えたところにある伊豆の島々でした。都会、中央、安定……を目指すことを、世間では向上心と呼んで称賛されますが、信仰者に神から与えられるミッションには、それと真逆の方向へ進ませることがあります。そしてそこにこそ宣教の最前線があると思うのです。
今年は伊豆大島の元村教会で52年間に渡って牧会をされ、昨年天に召された相沢良一先生の生涯を学びました。日曜日毎の牧師としての働きは勿論の事、伝道紙『黒潮』を40年間休むことなく発行、手ずから元町全戸へ配布し、更に全国の愛読者に送付。その他、教会堂を利用して大島初の保育園を開設、島内6箇所の保育園開設にも尽力。また元町小PTA会長や大島町PTA連合会会長、保護司等の働きを通して青少年の更生、社会復帰にも貢献。島の生活にも深く関わられ、東海汽船争議の際は解決に導き、元町大火の際は罹災者救済のために会堂を開放し、元町復興促進会の代表に推薦され、後に区画整理審議会長としても貢献されました。三宅島NLPに反対し、伊豆諸島の緑と平和を守る大島連絡会会長や、平和と憲法を語る大島の会代表をなさるなど平和運動にも尽力されました。
島を愛し、田舎牧師として島に生涯を捧げる、実に同盟人らしい生き様を学び、私自身も伝道者としての足元を見つめ直す機会となりました。





相沢 良一
ヨルダン社
¥ 1,835
(1988-01)

| shirayuri | 牧会短信 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
旧同盟の集い
今年も熱海で行われた、旧同盟の集い(マケドニア会)に参加してきました。
今回は特に、長年この会を率いてこられた相沢良一先生や、竹内良雄先生のご生涯と働きを学びました。



伊豆大島は、子どものころ何度も行きました。
初めて飛行機に乗ったのは、羽田から大島までのプロペラ機。
15分ほどで着きましたが、その間に酔ってしまいました。
幼いころから茅ケ崎の海岸で見ていた大島には親しみがあり、家族旅行や、教会の青年修養会、子どもの夏期学校などでも行きました。教団創立100周年記念事業の時は、波浮から元町まで歩きました。
そのたびに相沢先生にお世話になりました。
黒潮社の運営に責任を持たれ、自ら執筆する黒潮紙を通して全国へと福音宣教を為されました。「先生の教区は日本全国ですね」と言われるほど、その働きは広く全国から愛された方でした。
健脚で、私が思い出すの姿はスーツ姿ではなく、ジョギングパンツの姿。10キロ近く走るのを日課としておられました。
もちろんその脚は、大島の全島全戸へのトラクト配布のために用いられるのでした。
熱心な伝道者でありながら、社会活動にも力を入れ、会堂を利用した保育園のほか、島内各地区の保育園開設に尽力され、連合PTA会長、労働運動、更には平和人権活動などでも、先頭に立って活躍されました。
晩年はお身体の調子を崩されていたものの、昨年9月に召されたと報告を受けた時には、まさに「巨星堕つ」と思わされました。
同盟の教会を体現された伝道者として、優れた模範を示された方だったと思います。



竹内先生は、教団理事長として長年導いてこられた松田政一先生の娘婿で旧同盟の教会を牧してこられた先生。私は直接の面識はありませんが、著書を読み、また講演で人となりをお聞きしました。
ご長女はピースリボン裁判の原告として、日の丸君が代問題に立ち向かった方で、その反骨の精神は、父上が平和のために尽力された生き様から受け継がれたものと思います。

佐藤 美和子,大津 健一,飯島 信,崔 善愛,関口 博
いのちのことば社
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(2003-03)

| shirayuri | 日記・雑記 | 14:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
牧会短信 413号―『2010年 新年聖会・宣教区会議の報告』―

今年の神奈川伊豆宣教区新年聖会は、一般の部が先週月曜日に三島めぐみチャーチで、青年の部が土曜日に招待キリスト教会で行われました。
一般の部では、松下宣教区長をより、かつてイスラエルの士師の時代に「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」(21:25)ために、退廃的になっていった時代と、信仰の危機の時代としての現代とを照らし合わせつつ、御言葉に基準を置いた堅実な信仰生活を送ることが勧められました。
青年の部では、横須賀中央教会のM伝道師より、キリストのからだとしての教会に連なる一人一人には、互いの違いがあり、その違いを喜ぶことについて御言葉から学び、午後のセミナーでは准選択理論心理士でU教会員のK兄より、それを生かした実践的学びとして、男女の違い、互いの違いを知ってのコミュニケーション、更に婚活について学びました。
異なる主題のもとに行われた二つの聖会ではありますが、両方において共通して語られていたのは、教会の機能として、神との縦軸の繋がりと共に、信仰者同士の横軸の繋がりが整えられていかなければならないということでした。
兄弟姉妹の祈りの手が、共々に組み合わされる時、そこに多くの網目が生まれるように、混迷極まる時代にあって、教会の祈りと交わりは心のセーフティネットになるでしょう。
ぜひ礼拝後、お茶でも飲みながら、ゆっくり教会でお交わりくださって、共に語らいながら、自らの心を包むセーフティネットの存在を確かめあっていただくと共に、今度は自らもまた、他者を包むための網目の一つとなって、交わりと祈りを深めていけたらと思うのです。
当教会の2010年年間主題も「交わり―信仰共同体への招き」です。既存の共同体が次々立ち行かなくなる中で、最後まで頼りとなるのは信仰共同体としての教会であると信じます。どうぞ、ここに集い、ここで交わり、ここで憩い、ここから力強く踏み出す一年を過ごされますように。

なお、2009年度後期宣教区会議では、宣教区代表者会議に提出する予算案が可決し、教団レベルでの牧師退職金制度の創設について、教団理事会より提案が行われました。





| shirayuri | 牧会短信 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
新年聖会 青年の部
センター試験真っ最中。
受験者の皆さん、頑張っていますか?(こんなHPを見ている余裕はありませんね。)
当教会ではYちゃん、応援していますよ!
春に桜が咲いたならば、青年会をよろしくね!

というわけで、こんな日程ではありますが、先程まで教区の連合青年会が行われていました。
「婚活」をテーマにした第三回目。
御言葉の実践として、互いの違いを喜ぶこと。そこに伴う愛について聖書に聞くと共に、午後は男女の違い、互いの違いを知るセミナーを開きました。

では問題、スクリーンには何が書いてあるでしょう?
よく見ると…



L I F E

と書いてありますね。視点を変えると新しいものが見えてくるわけです。
| shirayuri | 日記・雑記 | 20:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2009新年聖会 一般の部
 
教区の新年聖会一般の部と、教会会議のために、三島まで行ってきました。

宣教区長からは士師記より、『信仰の危機の時代に生きる』と題して説教がなされました。
あらゆる面で先が見えない日本。
霊的退廃も進行しており、士師の時代のように、「王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(21:25)と言う、基準喪失の様相。
今こそ、御言葉を基準とした確かな人生を!とすすめられました。

今週土曜日は、新年聖会青年の部。
朝11時より、招待キリスト教会で行なわれます。
| shirayuri | 日記・雑記 | 13:49 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
牧会短信 412号―『変革の時代に』―
1997〜98年に堺屋太一氏が朝日新聞に近未来小説『平成三十年』を連載していました。平成三十年(2018年)の未来を予測しつつ、氏は「最もあって欲しくない日本」は「何もしなかった日本」とし、真の改革を求める警世の書として世に送り出したのです。
執筆から二十年以上が経った今、残念ながら現実が予測に近付いているようです。
「失われた十年」を経て、斜陽の国であることが明らかとなった日本は、真の改革が不可欠であり、小手先の改革ごっこでは「盲腸の手術」に過ぎなくなるでしょう。そこで堺屋氏はあとがきで「真の改革に必要なのは考え方の転換、つまり倫理と美意識の変更である」と述べています。
氏が意味しているのは官僚主導文化の変更でありましょうが、あらゆるところで考え方の転換がなされなければならないのでしょう。特にそれを正しく主導していくために、宗教が果たすべき役割は大きいと考えます。
小説では戦国武将をイメージした織田信介が、周囲の分裂と抗争を利用して実力を蓄え、温和な仕組みの変革者から次第に過激な思想の改革者へと変貌していくのですが、古い社会が自ら「変革」を志す機に、このような改革者は受け入れられるのでしょう。
そうであるならば、変革期とは教会もまた日本社会に深く根を張りなおす好機と言えるでしょうし、そのようなパラダイムシフトを主導するために備えておかなければならないのではないかとも思わされます。
世の中が暗く悲観的になればこそ、キリストの光を高らかに掲げる時代も来ると考えたいのです。




| shirayuri | 牧会短信 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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